トップページ > 日記・雑記帳 > 過去日記 > 2023年9月



 

 

9月12日(火)


金閣寺/三島由紀夫著

■金閣寺 /三島由紀夫著


かねてより三島作品を読んだことがないなと思っており、ちょうど
図書館の書架に戻っていた「金閣寺」を手に取りました。
1950年に実際に起きた、金閣寺放火事件を下敷きにした物語です。

京都は成生岬の小さな寺に生まれた溝口少年は、幼少の頃から僧侶で
ある父親に金閣寺(正式名称:鹿苑寺)の美しさを繰り返し聞かされて
成長します。肥大するばかりの、自己の脳内に燦然と輝く比類なき美を
持つ金閣の存在。あまりに想像の金閣が完璧すぎて、初めてその建造物
を直に見た時にはむしろ何の感動も湧かないほどでした。現実の美を
幻想の美が上回っていたのです。
青年時代を迎え、父親の知人が住職をつとめる伝手で金閣へ修行に出、
長く憧憬の対象だった絶対的な美と日々共にある生活を送ることに
なります。
そこから最終的に「金閣を焼かねばならぬ」と天啓を受けるまでの、
様々な人とのかかわりや出来事を通した一人称の彼の心象風景も追う
形で事件まで進みます。


凡人の自分としては、「天才がいわゆる“中二病”を深く描くとこうなるのか」と少々ふざけた見解がよぎったのも事実です。
ただ、戦争を跨いだ時代背景で、現代とは社会情勢も含め何もかもが違い、今と同じ物差しを用いるのは、まったく正しく
ありません。

溝口青年は、若さに似合う過剰な自意識を身内に渦巻かせながら生きています。自己愛、自尊、自虐など、およそ自分自身に
かかわるあらゆる認識が非常に濃厚なのです。根底にあるのは、ひたすら「美」というものへの拘泥、執着。美は時として
人を狂わせますが、もはや問題は美そのものだけでなく、美のありようでもあり、捉え方でもあり、解答も救いもない観念は
彼を縛り深い苦悩を与えます。

中でも、戦争終結を「金閣と自分を完全に切り離した事柄」としか見做さないのは、あまりに斬新な発想に映りました。
戦中京都も爆撃を受ければ、金閣も自分も同じように燃えて灰になる存在=同等の存在になると考えていたのに、終戦により
それがふいになり、圧倒的な美しさを誇る金閣と、容姿が醜く吃音を持つ己とが、再び立場を異にする事実が永遠に決定した
からです。もはや痛々しく、悲しくさえなってきます。
あなたも私も誰も彼も、その生存に意味も意義も一切ないと、溝口青年に言いたい。人は産まれて生きて、時間が経てば無に
帰すだけ。極端な話、その時何歳だろうと死の当事者にとっては変わりない。けれど、その事実を基にした心持ちだけを拠り
所に生きるには、あまりに人生は長い。だからか生身の人間というものはじたばたする。遅かれ早かれきれいさっぱり消える
ことが決定していて、そこまでの年数も、何をしたかも何を思ったかも、全てが無為なのに、どうせ無意味なら、生の時間は
幸せで楽しい方がいいと考える。少しでも永らえるよう努力する。虚無に打ち勝とうとする。・・・などと私的には思ったり
もします。

大学で知り合った友人の柏木青年は、「内翻足(内反足)」という足の障害を持っており、歩き方にはかなりの特徴があります。
重度の吃音である内向的な溝口青年は、そこに話しかける理由を見出します。しかし彼は溝口青年とは正反対で、「女はこの足
に惚れる」と嘯き、実際足を武器にすらし、目をつけた女性たちを確実に落としてしまうのです。
不自由な足を含めて自分。むしろそこをないがしろにされたくない思い。彼とて、前向きな明るい人柄とは到底言えず、それ
どころか捻くれた変わり者です。個人的に、作中で一番難解に感じられたのは柏木青年の語る内容でした。彼は、刹那の美を
愛する男。例えば、美しい旋律を響かせるも立ちどころに儚く消えてしまう、まさに人生に似た音楽など。金閣のような不変・
不滅の性質を備えた美は眼中にないのです。
その彼は言います。世を変えるのは「認識」であると。溝口青年は反論します。世を変えるのは「行為」なのだと。
美に強く憧れ、その美が自分や世の中を無力化すると憎み、美の象徴である金閣を燃やして破壊する。とてつもなく単純化すれ
ば、このような理論なのでしょうか。溝口青年にとっては、自らに憑りつき続けた美からの解放でもあったのかも知れません。

なお、現実の事件では、逮捕された犯人は犯行動機を「美への嫉妬」と供述したようです。


三島由紀夫という人物が、いかに情緒が深いのかがよく分かりました。
唖然とするほど強い感受性を持ち、それを言葉に置き換える能力に長け、どんなに現実的な内容を語るにもいちいち一文一文が
美しく舞い、負担にならない詩的な流麗さをまとっている。
もし若い10代の頃に読んでも、登場人物たちの心情や思考を酌もうと努めることは到底無理だったと思われます。(ぎりぎり)
40代の今も、文章を何度も反芻しかみ砕く必要が随所であり、完全な理解などにはとても及んでいないことでしょう。
頁をめくるのに結構な時間を費やした久々の一冊となりました。
次の三島作品は・・・しばらくお休みでいいかな、と今は思っています。







都筑区を守るキツツキの喜都筑(きつづき)くん

近隣の工事現場前を通りかかり、見覚えのない
キャラクターの姿にふと足を止める。

「あ、スズメだな」と初見で迷いなく判断した
ことをお許しください。

下方の「喜都筑くん」の文字を見てもしやと思い、
あとから調べて「キツツキ」であることが判明し、
しかも「アカゲラ」だという事実も分かり、
私の知っているアカゲラとなにかが違うような
・・・」となったこともお許しください。

きっと警察官の制服をびしっと着込んでいるせい
ですね。これからもどうか都筑区の平和をお守り
くださいますよう。

ちなみに、読みは「きつづき」くんです。





ヒマワリもくたくたになる夏でした。
お疲れさまと声をかけたくなります。


まだまだ残暑厳しく蒸し暑さは続く9月ですが、
ふと気づけば日暮れが驚くほど早くなっていました。
カメの歩みでも、確実に秋には向かっているようです。







若冲カレンダー2023。


9月は「鶏図」。
若冲の真骨頂、鶏が描かれた作品です。


優美な羽をなびかせる一羽の横で、寝転がるもうお一方。
鶏のこの体勢は見たことがなくあまりに新鮮に映り、どこか
コミカルでもあるので、思わず笑みが出てしまいました。


伊藤若冲/鶏図
伊藤若冲/鶏図


 



トップページ > 日記・雑記帳 > 過去日記 > 2023年9月