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3月31日(土)


雪の日もめっきり減り、時に日中の気温が10℃にまで達しては春の近さを感じる時期。

そんな過日、ちょっと左上の歯付近に痛みを感じる。
翌日、痛みがかなり増してくる。
翌翌日、左顔面が盛大に腫れる。ついでに左まぶたも腫れ上がり目が開かなくなる。発熱あり。もはやどこが痛いのかさえも判然とせず。

耐えきれず、朝からご近所の歯科に駆け込み、しかるべき処置をしていただく。どうやら死亡した神経が原因で炎症が広がったということらしい。

かねてより、どちらかと言えば歯のケアには気を遣っている部類に入れてもらえるのではないかと思う。
近しい人たちには、「半年に一度の歯科行きは必須よ!何もない内に診てもらうことが大切よ!」みたいなおせっかい啓蒙も結構してきた。

しかし、思えばその当人が札幌に移ってからは歯科に足を向けたことは一度もなかった。今回、本人にとっては比較的急に訪れた変調だったが、神経もある日まで元気はつらつでいきなりその翌日に死去するわけでもないだろうから、日頃の検診を怠らなければここまでは至らなかったに違いない。定期的な歯科検診の重要さを改めて知る出来事だった。

1週間程度でほぼ元の状態に戻ったものの、それにしても我ながら物凄い腫れっぷりであった。左顔面がとにかく大きく、重く、頼んでもいないのに常に厚みを主張してくる感じだ。昔に親知らずを抜いた時分にも割と膨れ上がったが、その比ではない。
歯を侮っては本当にいけない。




3月10日(土)


  過日、青森産のりんごがたくさん届く。

  赤い色が20個ほども並ぶと、急に室温まで

  暖かく上昇してくれたように感じる。

  素晴らしい贈り物だ。

  そんな甘い香りの果実を煮て、

  アップルパイを作ってみることにした。

  弘前さんちのりん子ちゃんのお陰で、

  よいお味にできあがった!

  夜中の台所でお茶受けをこさえるのも悪くない。

  冷凍パイシート侮りがたし。

  次はミートパイに挑戦したいと企んでいる。












甘いものというつながりで、昨月2月にクール便でやってきた、贈り物のカピバラさんを紹介させていただきます。





な、なんという愛らしさなのだ。しもぶくれ加減もたまらない。美味しそうだが、これはなかなか食べられまい・・・罪なうい奴らめっ! と、お二方には冷蔵庫で待機していただく。

舌の根も乾かぬその翌日。仕事の休憩時にちょっと甘味がほしくなる。





更にその翌日、茶カピバラさんも同じ運命を辿ったことは言うまでもない。
チョコレートコーティングの下はふわふわムースで、とっても美味でございました・・・



現在季節は春へと動いているが、真冬の厳しい冷え込みの中、時に吹雪で染まる夜は、札幌の片隅であるこちら月寒周辺のごく標準的な地域環境下でも、その辺を熊が普通に歩いていても驚かないと、冗談でもなく口にしたくなる独特の印象を受けたものだ。

雪と熊。なんとなくイメージとしてしっくりくる組み合わせだが、そんな雪の中で活動する野生の羆(ひぐま)こそ、畏怖するべき存在だという。

冬に動く「穴持たず」と称される彼らは、自らが入る穴を持たない、つまり何らかの理由により冬眠をし損ねた熊だということらしい。当然、お腹を空かせた状態にある。そして、人間もその食欲の対象には大いに含まれる。


「羆嵐(くまあらし)」というドキュメンタリー小説には、
日本史上最大最悪の獣害事件とされる、大正4年に北海道留萌苫前村で起きた「三毛別羆事件」が描かれている。
ひとことで言えば、一匹の羆が凶暴に人間を襲い、数日で7名の死者と3名の重傷者を出した話だ。

予め凄惨な概要を承知の上で読んだので、以前に初めて事件を知った時のような大きな衝撃は受けずに済んだが、それでもひたすら食欲のみに突き動かされる言葉を持たぬ巨大な生き物の怪物的な凄まじさには恐怖せざるを得ない。むろん情け容赦は一切ない。彼の目に留まる人間は、ただの餌なのだ。

初めに女を食べて味を知ったとの理由で、その後執拗に女だけを狙う徹底ぶりにも戦く。一家全員が立ち去った後の無人の家屋では、女性の衣類や所持品ばかりを荒らしていたという。
壮絶な恐怖の渦中に身を置く村民たちと共に闇に息を潜め、すぐさま遠くへ逃げ出したい切実な本心に同調し、叶わぬなら必死に効果的な隠れ場を頭の中に浮かべる思い。どこだ。どこなら安全なのだ。天井に張りつけばやり過ごせるのか。

羆は強靭な体躯と怪力だけでなく、賢さも持ち合わせている。足取りを誤魔化す「戻り足」という追手を騙す術には、想像したら震えがきた。雪道のある地点で歩みを止め、そのまま自分が付けた足跡をぴったり踏んで引き返し、途中で木の茂みなどに身を隠す。そして、足跡を追ってその場を通り過ぎる銃を持った人間を背後から襲うのだ。

そんな羆と最終的に対峙して倒すのは、一人の老練な熊撃ちの男だった。
そこに至る経緯を辿れば、確かな銃器と豊富な経験に加え、冷静な心身が恐怖心を凌駕してこそはじめて真の武器と化すように強く感じられる。

ドキュメンタリー小説であり、筆致には大袈裟な演出も見られず、北海道の冬の描写と共に物語は最後まである種淡々と進んでゆく。熊撃ちの名人銀四郎も最終局面になってようやく現れるのだが、翳りを伴う人物像には魅力があり、決して紋切り型の正義感溢れるヒーローとして描かれているわけではないあたりも、個人的には好みだった。


シロクマを筆頭に、熊はとても可愛らしいイラストやキャラクターとして起用される場合も多い。
実際に動物園ではチャーミングな様子の彼らに会うこともできる。

熊=害と位置付けるのはもちろん違うだろう。本来彼らが普通に生きる場に人間が踏み込んで、自然を変えたという見方もできるだろう。
けれど、そのような感慨を挟む余地などまったくない阿鼻叫喚の地獄絵図がある日突然目の前で展開され、周囲の人間が食い荒らされ、無残などと軽々しく表現できない姿形にされてしまったら。そして自分も同じく生きながら熊の餌となる危機に、絶えず晒される事態に陥ったら。

逃げることが許されないなら、正気を保ってはいられないだろう。そしてその後、相手をいかにして倒すか以外に頭を占める考えなど湧かないのは明白だ。

姿を見れば、未知の生物ではなく、「あれはクマです」と皆が分かる。だから、取り敢えず口から変な粘液を噴いたり、肩がぱかっと開いて何らかのミサイルを発射したりはしないことも分かる。
だが、ではほかに何を知っているだろう。例えば、「火を恐れる」「死んだふりが有効」など巷で信じられていた説はことごとく打ち破られる。羆は火を絶やさない屋内にも平然と乗り込み、遺体も捕食する。この流れは心底愕然とする場面だ。もはや未知の生物と相対する状態と同じか、あるいはそれ以上の絶望をもたらすのではないか。

そんな風に言いはじめたら、我々個々の人間こそ未知の生物以上の未知の生物に晴れて輝くことになりそうだが、とにかく、「敵を倒すには敵を知れ」という表現が真理だと分かる内容であったとは思う。

妙な結びになったが、これは対熊・対敵だけに限らない。「知る」という行為がどれだけ重要であるか、改めて色々と考えさせられる昨今なのだった。

ちなみに、これまで熊に関して特に深く考える機会はなかった。
北海道で暮らすようになった今だからこそ、手が出た小説なのかも知れない。

  『羆嵐』 吉村昭著/新潮文庫





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